中川碧

Aoi Nakagawa, Chief Researcher

歌人・小説家・仏教研究家としての顔と、稀代の芸術家・岡本太郎の母としての顔。人の興味を惹きつけて止まない人生を駆け抜け、49歳で不帰の人となった岡本かの子の命式を初めて見た時、妙にホッとした気分になった。「多分、こういう星を持っていたんだろうな」と想像していたものを、見事に持っていてくれたからである。自分が生まれ持った星の象意を充分に稼動させていく人生を算命学では「陽転した人生」という。彼女はまさに運命を陽転させて生ききったお手本のような女性である。  かの子は明治22年、大地主でありかつては幕府の御用商人でもあった裕福な大貫家の長女(第三子)として生まれ、早くから養育係の女性によって古典、音楽、西洋近代史などの教養を仕込まれた。後に東京帝国大学英文科に入る文学青年の兄の影響も受けて、持って生まれた豊かな感性が磨かれ、十代半ばから短歌や短文の投稿を始めるようになると共に、兄の文学仲間等との交流も広がっていく。もちろん幸せな時間ばかりではなく、岡本一平との結婚生活の苦しみから仏教に心を向け、同時に、夫と他の男性と同居するという奇妙な三角関係の日々も送っている。 そんな彼女が持っているに違いないと思っていた星・調舒星。陰の伝達本能であるこの星の、ある意味孤独の中で発揮される美意識・繊細な神経・自分を燃焼させるエネルギーは、芸術家の質そのものである。人に言われた人生に沿うのではなく、自らの価値観に正直に才能を発揮させる。彼女はこの星を二つ所有しているので、意味は倍加され、社会や一般の常識にとらわれない質も強まっていく。 次に龍高星。こちらも凝り固まった既成概念に囚われる事なく、新しいもの・美しいものを作り上げる為には改革・努力を惜しまない。一箇所に留まるよりも動く事を良しとする星だが、実際彼女は一平や息子の太郎、恋人と言われた男性等と共に2年と少しの間ヨーロッパを回り、自らの才能に奥行きを持たせている。芸術家に必要な、自らの内を極めるエネルギーと、外に向かって実際に動いていくエネルギー、彼女は両方を併せ持つ。 予想はしていなかったけれど、開けてみたらとても興味深い星もあった。天印星である。天印星は、自らが動く事無く周りに影響を与える星と言われる。その為、存在するだけで周囲を変え、幸せな気持ちにしてくれる“赤ちゃんのような”とも例えられ、人から愛される質を持った星である。確かに一平がかの子の事を念頭に書いたと思われる作品の文章には「彼女は頑是無いこどもの大人である。私はこの子供に向かってどの手でもっても争う術を知らない」という記述があるし、彼女と関わった多くの人が、彼女の全てを受け入れ彼女の思いを遂げさせようと尽力する。まさにかの子はずっと“かの子で在るだけ”で、人生が変わっていくのは相手の方だ。ただ、かの子を通して見えてきた天印星は、私には無邪気で愛されるだけの質のイメージではない。 天印星は、その星を持つ人と関わった人間の内にある、本能や隠していたい感情を曝け出させてしまうような星だ。もちろん天印星所有者本人には、そんな意図は毛頭ない。周りが勝手にそうなるだけだ。自らの内に愛が溢れていれば愛が、混沌とした思いの時にはコントロール不能の感情が、人生の意味を探していれば目的となるものが、天印星所有者との触れあいを通して明確になっていく。かの子と知り合った人は、彼女との付き合いの中で、自分でも意識していなかった“自分の質”を発見し、彼女の為にしている、と思っている事が、実は意識の底に隠れて気付かなかった自分を発揮していく事に繋がっていくように見える。もちろん複雑な男女の感情の行き来はあるが、かの子と深く付き合い切った男性の中には、男として女を守るというよりも、男性でありながら母性のようなものを感じる事さえある。それは彼女が“赤ちゃん”だったから“母”になったのではない。本来は男性も持っているけれど様々な環境で封じ込めさせられてきた質を、彼女(=天印星)によって開放され、開花してもらったようなイメージだ。 やはり天印星は無敵の星だ。ただ強いという意味ではない。読んで字の通り、敵が無いという事だ。かの子の作品・生き方を認めない敵はもちろん居た。でも、かの子の方では、これっぽっちも敵だと思わなかっただけだ。例え苦しくても、自分も人も、今在る姿をまず肯定する奥深さ。彼女はそれを本能として身に付けていた。そこにかの子の天印星の基本があると思う。 かの子の人生に無条件に惹かれる人も、反発を感じながら気になる人もいるだろう。作家としてよりも、岡本太郎の母である事や彼女自身が一番の作品であるとも言える。でも、49歳という、かの子が逝った歳をとうに過ぎた私としては、「年々に わが悲しみは深くして いよよ華やぐ命なりけり」の歌を遺してくれた事に、何より感謝を感じている。この歌の中に、彼女の持って生まれた調舒星も龍高星も天印星も、見事に表現されているように思う。
恥ずかしながら三島由紀夫の作品をほとんど読んだ事がなかった私は、「仮面の告白」という作品を、勝手に晩年のものだと思っていました。そのタイトルから、ある種の懺悔のような、「今なら話せる」的なものだと、思い込んでいたからです。この夏に、初めて本を手に取り、命式と合わせて読み進むうちに、今まで失礼にも作り上げていたイメージが変わり、ここから「三島由紀夫としての評価」をスタートさせた本能的な命の強さに驚きと敬意を感じています。 その人は冬の山日干・戊土。戊土は山を表す質ですが、三島は1月生まれなので、特に冬山のイメージです。 冬の山は高ければ高いほど、雪(癸水)を冠っていますし、陰占の十二支にも水の質(戌も湿った土になります)。 五行の関係で言えば土剋水、自らが剋するはずのものに覆われている姿です。冬の山は不思議。厳しく全てを拒むようであり、同時に、修行のように自分の生と向き合いたい人を魅了し誘います。一見、死を連想させる姿でも、時が来れば雪融け水を自らの懐に沁み込ませ、その水は再び溢れ出て川となり、海へ注いで生命を育みます。豊かな海として有名な富山湾は、立山連峰の恵みに満ちた地中を通ってくる雪 融け水がプランクトンを育み、それを食べに豊富な種類の魚たちが集まってくるのだそうです。 三島の命式には年干に甲木・月干に丁火もありますが、まさに剋するものと生み出すもの。作品の後書きに福田恒存氏が書いておられるように、一見の不毛と未来(火性)の豊穣が合わさった冬の山の姿 です。陰占をもう少し見て行くと年干の甲木→月干丁火→日干戊土、それから座下で辛金→癸水が二つで、また甲木へ続きます。内に向かって貯め込まれたエネルギーは、日干支の戊戌で、ある種の業を持ち動きを封じられて行くので、誰にでも納得してもらえるような素直な動きにはならないけれど、座下で外へ向かって流れたいと、もがいているように見えます。仮面の告白には「〇〇であると同時に〇〇である」という表現がたくさん出てきますが、彼の思いは正反対のようでいても、いつでも動いています。作品中でも彼は何度も<死>を願いますが、死だけを願うなら、思いは止まります。生きる事は動き、変化する事。彼が望むのは <死> そのものではなく、死によって得られるかもしれない<何か>、それが自分の<生>の証になる<何か>を、もがきながらも探しているように、命式から感じられます。 また、土性の本能は引力本能。自分に引き寄せたい、認めて欲しい思いです。三島の場合、恋の対象がセンセーショナルで、肉体的に病弱である事も自覚している為、自分が認められる存在なのか更に悩むでしょうが、恋はそもそもコントロール不能な気持ちの昂り。対象が異性であれ同性であれ、自分自身であれ、手に余る思いは若い時には誰にでも経験があるはず。青臭い言葉ですが、青春時代には、本当に生きるか死ぬかの悩みに感じられる事でも、振り返ってみれば、それは「自分自身に、手こずっていただけ」のように感じらる事もあります。私自身、若い頃を思い出して、知らず知らずのうちに三島に親近感を抱いてしまいました。これは彼が陽占に持つ <天印星>=赤ちゃんのように、そこにいるだけで人を動かしてしまう、愛され星のパワーでしょうか??その人を取り囲むもの彼の悩み・セクシュアリティに関しては、生きた時代が大きく関わっていると思います。今なら素直に共感してくれる人が多くても、当時は特に、男性が男性らしくないと国の命運までひっくり返ってしまう時代です。 算命学では国の運気にも陰陽五行を当てはめ、時代を10年ごとに区切ってそれぞれの特徴や流れを理解する方法がありますが、1890年(明治23年)11月に大日本帝国憲法が施行された時をスタートとして当てはめていくと、三島が生まれた1925年、日本は調舒星の質の時代の半ば、その後昭和は、禄存、牽牛の質の時代と続いて終 戦を迎え、新しく日本国憲法の施行に伴って再スタート、車騎の時代が始まります。三島の年齢に合わせて見ると、初等科に入学した頃からが日本の禄存時代となる訳です。日干戊土から禄存を出すには壬水(禄存=戊土×壬水)、牽牛を出すには乙木(牽牛=戊土×乙木)という組み合わせになります。戊土の彼が、常に壬水や乙木のフィルターを通して時代と向き合っているイメージと言っても良いかもしれません。作品中に「一個の不安が私達の内に宿る時に、奇体な熱の形で私たちにあらわれる・あの『不安に対する好奇心』・・・」という表現があります。精神の不安は、肉体の現実となって表われていますが、彼は、何故?という大いなる不安の答えを知りたくて、もがいて動き回ります。(=壬水の質) また、学生時代の集団(=乙木)の中で、自分自身のプライドやあるべき立場・姿(=牽牛)を模索しますが、どちらも相剋の関係なので、大いなる悩みで鍛えられ、その結果、「仮面の告白」で、日本の新時代と共に人生を再スタートさせていくのです。彼の悩みは、決して絶望や卑下、悲劇的な要素だけでなく、仮に死という言葉を使っても、それは生を輝かせるための逆説的なモチーフにさえ思えてきます。全てを閉ざしたように見える冬山の下で、命の面影が息づいているように。生きる事を、真に欲する為の悩みだったと思います。 付記 三島は、映画やテレビの作品、SF 小説なども楽しんでいたようですが、映画評論家の、故・淀川長治氏が三島について、「私みたいな者にでも、気軽に話しかけてくださる。自由に冗談を言い合える。数少ないホンモノの人間ですね。(中略) あの人の持っている赤ちゃん精神。これが、多くの人達に三島さんが愛される最大の理由でしょ うね」と語っておられました。天印星のことなど全く知らないはずなのに、このような適切な言葉で表現できる淀川さんの感性のスゴさに脱帽いたしました。