紀元前4・5世紀 春秋戦国時代、諸子百家といわれる思想家達が活躍した。孫氏の兵法はこの乱世の時代に登場している。著者の孫武は、戦争の記録を分析・研究、人の心を分析し、勝つ為の法則理論を体系化した。つまり、この時代から、覇者となるには天運に任せるのではなく、過去のデータの分析と冷静な解析が必要とされ、軍師・軍略家という職業が成立していく。

又、孔子も同世代の思想家だ。 乱世の時代、子が親を裏切り、臣が王を殺めるなど実力主義が横行、倫理道徳観が崩壊し、社会秩序が混迷していた。そんな時代に、周時代の社会秩序への復古を唱え、仁道政治を掲げた思想家だ。

孔子を始祖とし、その後弟子たちにより発展されていった儒家思想は、後の秦の始皇帝(AD246~210の焚書坑儒とされる徹底した思想弾圧により一時は勢力を失うが、漢王朝の成立と共に再び注目される事になる。 前漢の武帝(AD141~88)が薫仲舒の進言により、儒教を国教としたことで、儒教思想は国家思想の中枢に位置することになる。

その後、後漢の時代に仏教が伝来、また民俗信仰を基盤とした道教も成立道教として体制を整えたことで、中国の三大宗教として、儒教・仏教・道教が互いに影響をし合いながら確立されていく事になる。

この儒家思想には、実は緯書と経書という思想分類がある。緯書の緯は「よこ糸」、経書の経を「たて糸」と称し、この縦と横の糸により成立されているのが本来の儒教の思想である。

四書五経とは経書であり、「論語」「大学」「中庸」「孟子」を四書とし、「易経」「経」「詩経」「礼記」「春秋」を五経とされ、広く民衆に知れ渡る国学の中枢思想である。

それでは緯書とは何か? 緯書は前漢末から後漢にかけて形成され、儒教の根本経典である五経(易経・経・詩経・礼記・春秋)に楽記あるいは孝経か論語を加えた六経を補足するものとして、孔子が秘法として編み出した秘経とされ、「孔丘秘経」とも言われている書物である。秘法の書とされ、限られた儒学者が一子相伝で伝承されていく。

この緯書の内容を大別すると、緯と識に分けることができる。《緯》とは縦糸のことで、緯書の中の緯とは、経書の四書五経を補足する学問であるとされていた。

それでは識とは何か。 この識(しん)という学問こそ、未来預言書だと言われている。 故にこの儒教の緯書 その中の識緯学こそ皇帝が秘儀としたもとされている。 三国志の時代になると、この緯書と経書の両方に精通したものを、軍略家といい、軍師の事を縦横家と呼ぶようになる。 その軍略家達の知識が後に子平法・推命学として発展していき、算命学への系譜となる。

三国志などでは、主従関係のある軍人と違い、軍師という立場はフリーランスのコンサルタントで、腕一つで権力者を渡り歩く様子が描かれている。

つまり、軍師とは《命を張ったコンサルタント》のような立場であり、当然の事ながら雇用者を満足させなければならない、絶対的役割が義務付けられている。 覇者となるのは《孫氏の兵法》を活用すれば出来てしまうものだが、困難なことは、実はそのシステムの維持である。これは現在の経営学にも通じるものだろう。 事業の一時的な成功は勢いで成立してしまうものだが、成功した事業のシステム管理は非常に困難である。

推命学は、皇帝の秘儀として独自の発展を遂げ、永い間様々な思想家の理論を組み込んでいく事で、非常に難解な学問へと発展していく。

その難解な学問の集大成が、高尾義政宗家が算命学としてまとめあげた学問ではないかと思う。 算命学は十六元法理論から構築されており、その奥義は数理法と言われる数学的分析学へと発展している。 世間では、算命学十六元法の内、四柱推命は二つの技法、気学は一つの技法が基になっていると言われているが、この十六元法そのものが複雑に絡みあっているため、シンプルに数字で割り切れるものではない。

四柱推命は、日本へは江戸時代の末期の文化時代に長崎にその書籍が伝わり、陰陽学の宗家、京都土御門家の手に渡ることで、全国に広まった。故に我が国では、中国占いというと、この四柱推命を指すことになる。尚、四柱推命とは推命学の事であり、日本で翻訳された際、判定基準に生年月日と誕生時間を入れたことから四柱推命と命名されている。 算命学は先程述べたように、戦後日本に渡ってきた《権力の中枢》に秘法とされてきた学問だ。コンサルタント理論の多くが構築されている、最高峰の学問である。