算命学の命を、寿命だと思われる方がいらっしゃっいます。
生命を算術する学問だと思われ…
《私の寿命を教えて下さい!》と聞かれることがあるのですが、算命学の命とは、寿命のことではなく、天命の事です。
つまり、算命学とは、天命を算術する学問という事になるでしょう。
それでは、「天命とは何か」という事になります。
天命とは何だ?
清水南穂先生から伺いました、ご宗家のご説明によると、天命とは、《日干を通して見える世界》ということになります。
つまり、天は、《日干を通して天命を再現させて見せている》ということになるのです。
それでは、《天》とは何か?となりますと、算命学は道教を通して成立している為、キリスト教やイスラム教のようなイメージの《神》ではなく、私達日本人の感じる《神々》つまり、自然神という事になるのです。
その神々、つまり万物に宿る自然神、全ての源といいましょうか、ボスといいいましょうか・・・
万物に宿る自然の全ての神々にエネルギーを与えている者は何かというと、太陽神と月神様です。
万物に宿る自然神とは、地球上全ての生命体に宿る神々です。
つまり、この世に生まれたものに全て干支暦という生年月日を持たせました。
この干支暦は、皆様ご存知のように、太陽神と月神様の動きを計測して定めたものです。
つまり、《日干を通して見える世界》とは、干支暦の日干をCoreとして、その星を取り巻く天体の動きを反映したものが、自然が我々に定めた天命、つまり宿命という事になるのです。
日干とは何か?
それでは次に《日干》とは何か?という事になります。
《日干》とは《日干支》の十干の部分です。
干支は皆様ご存知の通り、六十干支で構成されております。
この六十干支という十干と十二支のユニットが、グルグルと日めくりカレンダーのように回転しているのが、日干支の構造です。
それでは、いつ、誰が、この日めくりカレンダーをめくり始めたと思うでしょうか?ちょっとクイズです。
① 聖徳太子
② 安倍晴明
③ 殷王朝の始祖契
答は勿論ご存知の通り、③です。
皆様の学ばれた算命学の学校では、既に学ばれご存知の事かと思いますが、もう少し勉強されたい方は、一般社団数理暦学協会のブログで《運命学の歴史》を書いていますので、フォロー戴ければ助かります。
そう、何と驚くことなかれ、これは3500年以上前からずっと廻っているのです。
算命学が3500年の歴史と言われている理由
《算命学は3500年の歴史ある学問》という言葉は多くの書籍で眼にされたことかと思います。
なぜかというと、殷王朝から伝わる干支暦を用いた学問であるためそう言われているのです。
考えてみて下さい!
すばらしいロマンだと思いませんか
3500年前から、ずっとグルグルと六十干支が回転しており、その延長戦上に自分がいるのです。
太古の昔から繋がっているように感じますよね。
その素晴らし事実を、日本人は捨て去ってしまいました。
いつ捨てたのかって?
そう、ご存知の通り、145年前、明治5年にグレゴリオ暦に改暦したことにより、旧暦文化を時代錯誤のものだと政府が否定したことで、今の状況となっています。
明治政府は、薩長藩閥で成功しました。あれくらいの抜本的改革は、地方の力なくしては成しえなかったと思いますが、彼らは欧米模倣主義に走った為、日本に古くから伝わる東洋の文化を切り捨てました。
その中に、皆様ご存知の通り干支暦文化が含まれているのです。
故に、日本から一歩外に出ると、干支暦文化はきちんと継続されています。
その様子は、韓国文化から紐解く陰陽五行文化 のブログを参照下さい。
陽占
つまり、天命とは《日干を通して再現される世界》となります。
算命学では、それを具現化しています。そう、皆様既にお気づきの通り、陽占になります。一般社団法人数理暦学協会の干支暦学では実相と呼びます。
実際、古書では実相とあり、陽占とは高尾先生のつけられた名称かと思っております。
長崎で誕生された高尾先生は、20代に東京に上京されます。
今のように交通が便利でスマホがある訳でもない時代の上京とは、故郷を離れ自力で苦労しながら頑張らねばならない、大変な時代だったと思います。
高尾先生が上京されたばかりの20代の頃、清水先生は上野にて先生の講演会に行かれたご経験がありますが、現在の算命学のような《占い的》なものではなく、中国古典を教えるという非常に学術的なものであり、故にまったく人気がなかったとお話しになっていらっしゃいます。
その数年後に高尾先生と再会された時、算命学が占いとして大成功しているのをみて、商業的な形として、占いに特化したのだなぁと思ったと仰っていらっしゃいました。
尚、私の師匠、清水先生は高尾先生と同じ年、東京浅草生まれ、浅草一の靴問屋の御曹司で、子供の頃から占い大好き。その為、若い頃から《中国古典》というと色々なセミナーに積極的に出ていらっしゃっり、20代の高尾先生の講座にも出席されていたのです。
あの時の難しい学問が数年後に算命学という占いとして大成功していたと清水先生は語っていらっしゃいますので、陽占の星々の名前は高尾先生の命名かと思っております。(高尾先生は25年前にご逝去されていらっしゃるので確認は出来ません。)
陽占とは、人生のお役目
つまり、日干が具現化した世界、陽占にその人がこの世に誕生してきた役割が描かれているということになります。
そして、その再現が出来なくなった時は、この世に生きている意味がなしということになり、死に至ると書かれております。
死は大げさにしても、陽占に描かれている星のどれかひとつでも動かなくなると、運勢の稼働率は悪くなります。
腰が痛いから動けない・・・のと同じ感じ…。
つまり、陽占に現れている星が稼働しなくなると、生きる意味を失い死に至るということのようです。
勿論、いきなりは死にません。
人間の身体と同じで、例えば、脚が弱くなり、立ち上がれなくなり、食べ物が食べれなくなり、物を考えられなくなる・・・そのように段々と各機能が弱り、最期は全機能が停止するという形です。
それではどうすれば良いでしょうか?
ここでは、数理法と守護神法です。
このように、干支暦学の素晴らしさは解決法があることで、PCゲームのようにこの敵を倒すには何の武器を用いれば良いか…と同じ、色々な技法が用意されております。
つまり、自分に与えらえたエネルギーの中で一番点数が高いものから消化していくのです。
最高点のものが守護神なら、これを動かさない限り運勢は稼働しません。
もし忌神が最高点の場合、当然、この部分を避けて通ろうとします。
イメージして下さい。ゲームだとしたら、一番嫌な奴が一番強烈で、そいつを倒さないと前に進めないのです。
どうすれば良いか…これが軍略です。
もし若ければ思いっきり倒そうとチャレンジした方がいい。これで実力が身について、社会にでてからどんな苦手な人に出会ってもやっていけます。
自分の中の最高の嫌な部分を倒したのですから。
しかし、これ自分で自分の嫌な部分を倒すなんて…年齢を重ねると出来なくなります。
年齢を重ねるにつれ、誰も自分を可愛がってくれなくなりますから、自分で自分を可愛がるようになるからです。
辛くても、お母さん~!って逃げ込めませんものね。
それではどうしたら良いか。
他人に、自分の嫌な部分を倒して貰うしかありません。
故に、もしあなたが龍高星というものがあり、これが忌神から出ていたとします。故に、折角の龍高という星がありながら、動きが悪い。
動かない。
口ではいつも動きたいと言う。
テレビでイタリアの風景なんかをみると、「あぁ行きたい。今の生活から早く脱したい」言いますが、行動が伴わない。よくみると、陰占の忌神から出ているため、どうしても二の足を踏んでしまうのです。
しかし、結論からいったら、この龍高星を生かしかありません。
天から与えられた命令、つまり天命だからです。
つまり、好奇心を持って学ぶ事を目的に身体を動かさない限り、運勢は動きださないのです。
しかし、忌神から出ている場合、一番苦手な分野なのです。
そのため、会社を休んでまで自ら行こうとはしませんから、商社や海外との取引が多い仕事を自ら選んで、他人から動かしてもらうしかないのです。
苦手だが天命で与えられている星のエネルギー消化の方法は、アリストテレスではありませんが、(興味ある方はアリストテレスの記事を参照下さい)まずその星を演技してみて身体に慣れさせることが肝要です。
人生は一度きり、思いっきり陽占の星を動かしましょう。
陽占の星が分からない方は、こちらから探してみてください。
算命学は人を幸せにする学問です。
干支暦学入門講座を開催しますから、よろしければ是非ご参加下さい。一日でも学ぶと違います。
自分を知りたい方には是非一度学んで戴きたいと願っております。
山脇史端
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