30年前、算命学を学び始めた頃、手作業で命式表を作成していた。
鑑定士の仕事は、命式表を算出することであり、時間のかかる職人的な作業だった。
現在、データはスマホで数秒で算出される。
いともたやすく、正確に表出するため、鑑定士の役割は大きく変化を遂げている。
現代社会で求められている算命学
IT時代、算命学には何を求めているのか。
心に届く言葉、人間力の構築、判断力、瞬発力、
より深淵な部分への探求であり、人間哲学である。
時処位を捉える力をつける
中江藤樹(1608~1648)『翁問答』
運命を引き寄せるには、時・処(場所)・位(立場)を天地人三歳にふさわしい、最高の善(至善)であるかを見極め、中庸(バランス)をとりながら行うことが大切だと、中江藤樹は述べている。
時とは天の時、春夏秋冬を捉えながら、運勢が開運か閉運かを捉える。
例えば、冬に田を耕して種を蒔いても、いくら頑張っても実り(結果)には繋がらない。
すべき時を間違えているため、苦労しても成果が得られない。
しかし、農業ではなく、学問を精進するには、冬は家の中にいる時間も多いため良好だ。
何をその季節に行うのか、対象を考えることも大切だ。
耕作すべき時が到来しても、稲を畑に植えたり、野菜の苗を田に植えたりしては、どんなに肥料を与えたり、手入れをしても育たない。処(場)を間違えたため、期待している成果が得られないのだ。
天の時と、地の利を最適な状態にしても、他人の田畑に植えたとしたら、自分には何の益もないばかりか、逆に侵入罪で訴えられる。
つまり、時と処がよくても、自分自身の位(立場)という分際を知ることが大事である。
それでは、春に自分の田に稲を植え、畑に野菜の苗を植え、時処位が最適な状態に整えたから必ずしも成功するのだろうか。
すべてが最適な状態であっても、苗と種に生命力がない限り、上手く育たない。苗や種になる前のこと、先祖の陰徳や家庭の環境なども大切だ。
また、いくら苗と種に生命力が、肥料を適切に施し、雑草をとりのぞき、丹精込めて手入れを行う、人事を尽くし切らない限り、秋の収穫は得られない。
この天地人三歳が揃ってはじめて収穫が見込めるのだが、強烈な日照りで焼けてしまったり、長雨が降り続いて腐たり、大風でなぎ倒されたり、虫に喰われたり、秋の収穫に実がならなくなるときがある。
これこそ天災であり、人の力ではどうしようもない運命のなせるわざである。
時処位を整え、人事を尽くす。
算命学で解析できることは、時処位を整えることである。
それを「人事」という。
人事を尽くしても禍に遭うのは運命であり、人の力が及ぶ領域ではないため「禍い」という。
運命は85%解析できるが、残り15%は解析できずという。
その15%は運命の部分であるからだ。
故に、人事を尽くして天命を待つ。
やるべきことは全てやった、どのような結果になっても後悔はしないという清爽たる境地こそ、次なる可能性を引き寄せる。
Heaven helps those who help themselves.
天は自ら助くる者を助く。
(サミュエル・スマイルズ)
このような視点から物事を捉えるのが、
我々が目指す算命学であり、
我々が提供する、算命学カウンセリング・セラピーである。