算命学を学び始めた30年前は、手作業で命式表を作成した。
当時の鑑定士の仕事は、命式表を作成することであり、
解釈より解析に力を入れねばならなかい時代だった。そのため、占い的に発展せざる得なかったことは否めない。
現在、算命学解析はITの技術により、数秒で算出される。
多くのデータを誤差なく、精緻に算出出来るため、鑑定士の役割は大きな変化を遂げた。
恐らく一番大きな違いは、複数人を一度に鑑定出来る事だろう。そのため、グループビルディングや組織論にも活用できるようになった。
現代社会で求められている算命学
IT時代、算命学には求められているものは、東洋哲理だ。
一瞬の内に多くの人の人生が浮かびあがる魔法の箱を3000年前の仙人が所有したら、何を求めらるか。何に活用するか。
多くの人に影響を与える分、そこにはしっかりとした哲理がない限り、恐らくその仙人は自滅するか、宝の持ち腐れで使うことなく隠れているだろう。この技法を次世代に伝承することを模索する中で、私が至った結論は、多くの人が学ぶべきものではないということだ。そして、心と身体は連結しているからこそ、身体の事を熟知している人でないと、人の心に踏み入ることは出来ないと感じた。そのため、私が体得した算命学奥義は、独立開業権を有する国家医療資格取得者にのみ伝承することとした。彼らが地域医療において、算命学の知見をカウンセリングに活用戴くことを願っている。
同時に、算命学という言葉から離れた、新たな文化の確立を目指し、一般社団法人数理暦学協会を設立した。
ここでは暦学という新たな名称の中で、次の時代に沿った新しい使い方の提唱を目指している。
時処位を捉える力
東洋哲理の中の算命学とは、どのようなものなのか、その一例を紹介する。
中江藤樹(1608~1648)『翁問答』
運命を引き寄せるのに大切なことは、
時・処(場所)・位(立場)の天地人三歳説
最高の善(至善)であるかを見極め、
中庸(バランス)をとることこそ大切だと述べている。。
時とは天の時、
春夏秋冬を捉えながら、
運勢が開運か閉運かを捉える。
冬に田を耕し、種を蒔いても、
いくら頑張っても実り(結果)には繋がらない。
すべき時を間違えているため、
期待した成果が得られない。
だが、学問を精進するには、
農作業の閑散期である冬は、良好な時である。
何をその時に行うのか、見極めることが大切だ。
春が訪れても、稲を畑に、野菜の苗を田に植え、
肥料を与え、手入れをしても育たない。
処(場)を間違えたので、期待していた成果は得られない。
天の時と、地の利を最適な状態にしても、
他人の田畑に植えたとしたら、
自分に何の益もないばかりか、逆に侵入罪で訴えられる。
自分の位(立場)という分際を知ることが大事である。
それでは、時処位を最適な状態に整えれば、
必ずしも成功するのだろうか。
すべてが最適な状態であっても、
植えるものに生命力がない限り、上手く育たない。
苗や種になる前のこと、先祖の陰徳や家庭の環境なども大切だ。
生命力のある苗や種に肥料を適切に施し、
雑草をとりのぞき、丹精込めて手入れを行う。
人事を尽くし切らない限り、秋の収穫は得られない。
天地人三歳が揃い、はじめて収穫が見込めるが、
強烈な日照りで焼けてしまったり、
長雨により腐る、大風でなぎ倒される、
虫に喰わるなど、秋に収穫できない場合もある。
これこそ天災であり、人力ではどうしようもない、
運命のなせるわざだ。
時処位を整え、人事を尽くす。
算命学で解析できることは、
時処位と人事の尽くし方をアドバイスすることだ。
これを「人事」という。
人事を尽くしても、
どうしようもないことを「運命」と呼ぶ。
人の力が及ぶ領域ではないため「禍い」ともいう。
そのため、
運命は85%解析できるが、残り15%は解析できない。
しかし、
人事を尽くして天命を待つ。
やるべきことは全てやった、
どのような結果になっても後悔はしないという
清爽たる境地こそ、次なる可能性を引き寄せる。
Heaven helps those who help themselves.
天は自ら助くる者を助く。
(サミュエル・スマイルズ)
このような視点から捉えることこそ
我々が目指す算命学であり、
算命学カウンセリングである。